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【Global Leaderに聞く】古井 健司さん(弁護士)

新天地に飛び込んでいく決断の根底にあるのは早稲田での日々地域に根づく慣習への理解が弁護士にも必要
東京出身の私が日本最北の街で弁護士をしているのは、「縁」としか言いようがありません。漠然と北海道への移住を考え始めたちょうどその時期、地方の弁護士過疎解消を目的に日本弁護士連合会が公設事務所を各地に設立する動きが本格化し、紹介されたのが稚内でした。
東京では国際や金融部門の活動が中心でしたが、稚内に来て取り扱う案件の幅はぐっと広がりました。農業や水産加工分野をはじめ、個人の相続、刑事事件など、多種多様な相談が寄せられます。また、宗谷海峡を隔てて北はサハリンという土地柄、ロシアとの経済交流拡大に向けたセミナーや日本とロシア企業との契約関係のトラブルの相談なども扱ってきました。それらの事案に取り組む際に、地域に根づく「慣習」を意識するようになったのも、東京にいた頃との違いです。地元の人が今までどう暮らしてきたのかをきちんと理解し、法律の精神と矛盾していなければ、その慣習を尊重することが、地方で弁護士を務める上では不可欠な視点だと感じます。

外務省で修羅場をくぐり抜けた経験は今の財産に
持ち込まれる相談は、分野を問わず引き受けようと決めており、その都度、関連する法律や、その分野についての基礎知識を徹底的に勉強します。「やることが毎日違う仕事」という点では、まさに私が望んでいた働き方そのもので、大学卒業から6年勤めた外務省を辞め、弁護士に挑戦することを選んだのもそれが理由でした。もちろん、簡単に弁護士になれたわけでは決してなく、司法試験では自分自身を追い込んで猛烈に勉強し、背水の陣で臨みました。
外務省時代にさまざまな交渉や駆け引きを経験し、いくつもの修羅場をくぐり抜けたことはほかの弁護士にはない私の財産で、そこから人として大切なことを多く学びました。例えば、何かミスをしたときに大切なことはいかにリカバーするかということ。間違いを指摘されたなら、自分を正当化するのではなく、素直に謝ること。どれも非常に基本的なことですが、身をもって学んだことであり、今、弁護士として活動する上でも大切にしていることです。

学生時代の旅の経験は、人生の活動範囲に比例
大学時代は休みのたびに、アルバイトで貯めたお金で一人旅に出ました。夜行列車で稚内に来たこともあります。私自身、稚内に来ていなければ、赴任の打診を受けたときに、「最北」に不安を感じて断っていたかもしれません。大学時代は、将来の目標に向かって最短コースを突き進むだけではなく、それ以外の学びや時には旅先での見聞や人との交わりなど脇道も大切にしてください。そうして培った人間としての間口の広さは、必ず強みになるはずです。
振り返れば、私は理系クラスから文系学部への進学、公務員から弁護士への転身、東京から稚内への移住などの決断をしてきました。周りに無謀だと反対されながらも、新しいことに挑戦するこの生き方を選べたのは、自由な生き方をゆるしてくれる早稲田で学生時代を送ったからだと思います。この先、みなさんも人生の岐路に立つことがあるでしょうが、一つ覚えていてほしいのはどちらかが「正解」ということはなく、選んだ先にそれぞれの道は続く、ということです。人生は必ず何とかなる。そうどっしりと構えて、大学という新しい世界へまずは思い切って踏み出してください。

Profile
古井 健司 Furui Kenji
弁護士
東京都出身。1989年、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、外務省に入省。主に多国間や二国間(日米)の経済問題を担当する部門で、国際的なプロジェクトの企画・立案や、実現に向けた交渉案件に携わる。96年に退職して、2000年4月に弁護士登録。東京の大手法律事務所の国際部門で、企業法務や金融コンプライアンスの分野などを中心に弁護士活動に従事。09年、北海道に移住。現在、稚内市で日本最北の法律事務所「北の杜法律事務所」を運営する。北海道の景色を愛用のカメラで撮影するのが最近の趣味。

※掲載情報は2014年度内の取材当時のものです。

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