人間はなぜ、記憶違いを起こすのか?
研究室DATA
杉森絵里子研究室
認知心理学
Work
人の記憶はあてにならない
外出するときに「あれ、家の鍵かけたっけ?」とわからなくなったり、人と「言った」「言わない」でもめたりした経験は、誰にでも一度や二度はあるだろう。人間は自分の行動したことを、すべて正確に記憶できるわけではないのだ。2015年に新設された杉森絵里子准教授の日常記憶心理学研究室では、このような記憶エラーに関わるメカニズムと、その個人差についての研究を行っている。
杉森が記憶エラーの研究を始めたきっかけは、誤った記憶による目撃証言により、無実の人が犯人にされた冤罪事件を知ったことだった。目撃者は誤った記憶をもとに証言したが、だからと言ってその人は嘘をついているわけではなく、記憶の変化により、それをリアルな事実だと感じているだけだ。そのような記憶違いはなぜ起こるのか。杉森はその現象と、それが起こるメカニズムに興味を抱いた。
記憶エラーは日常的にも頻発し、また、個人差も大きい。例えば、「あの人はよく嘘をつく」と思われている人の多くも、記憶違いを起こしやすいタイプだという。
「サービス精神が旺盛で、話をちょっと“盛る”人っていますよね。言っているうちに、その人には本当にそう記憶されてしまうので、他人から見たら嘘であっても、その人にとってはそれが現実なんです。記憶エラーのメカニズムを知ることは、他人を、そして自分を理解することでもあります。その人は記憶の変容を起こしやすいタイプなだけ。そう思えば、不要に人を嫌わなくてすむし、話を大げさにしがちな本人にとっても、自分の認知のクセを自覚することで周囲とのコミュニケーションがしやすくなるでしょう」
そもそも記憶エラーも多様である。例えば、ネガティブな性格の人は「面倒見がいいね」と言われても「おせっかいだと言われた」と記憶に残す傾向があるし、逆に「嫌です!」と本気で断っても「嫌です♥と言われた」と勘違いして喜ぶ人もいる。
「記憶エラーのない、パーフェクトな人はいません。人によってエラーの仕方が違うだけです。それを理解できれば、いろいろな人がいることを許容でき、人間関係も少し楽になるのではないでしょうか」
自分の凹を他人の凸が埋める社会はそれで成り立っている
「記憶の個人差」をテーマとする杉森研究室では、日常記憶に関わることならどんなテーマでも扱うことができる。現在、ゼミ生は「聴覚で商品名をサブリミナル提示することが、その商品の購買欲に与える影響は?」「統合失調症傾向が高い人と低い人で、音楽の嗜好が異なるのではないか」「涙のように水滴がしたたり落ちる眼鏡をかけると、悲しい記憶を思い出すか」など、それぞれの関心に従ったテーマ設定で研究に取り組んでいる。
日常記憶の研究を通して浮かび上がってくるのは、人間はロボットとは異なり、それぞれ凹凸があるという事実だ。各自が完璧ではなく“いい加減”であることで、この社会は成り立っている。
考えてみよう。例えば、シリコンバレーで働くエンジニアたちには発達障害の人、または発達障害傾向が高い人が多いと言われるが、私たちが使っている数々の道具は、彼らがイノベーションを起こして生み出してきたものなのだ。
「研究を通し、学生たちには自分の凹を他人の凸が埋めているという感覚、適材適所の感覚をもってほしいと考えています。お互いの認知の方法の違いを知ろうと努力することは、多様な価値を許容すること、自分も他者から許容されていると知ることにつながります」
人間を知るための多彩なアプローチ
杉森はまた、健常者の統合失調傾向(病気ではないが、現実と空想の区別がつきにくい、独り言が多いなどの傾向のある人)に関して、そのメカニズムの解明や、そういった人に多い創造性豊かな資質をどう生かしていくか、という研究にも取り組んでいる。これに関しては、社会的ストレスや化学物質曝露の脳への影響の解明に取り組む掛山研究室とともに、自閉症モデルマウスや統合失調症モデルマウスを用いた共同研究が始まったところだ。また、トラウマ的体験がきっかけとなる精神疾患の認知行動療法の研究という、臨床分野の熊野研究室との交流もある。
「マウスや細胞の実験をしている人も、臨床に近い研究分野の人もいて、お互いにやりとりしながら新たな知見を見出していくことができる。それはとても楽しいことです。『人間を知りたい』という共通の目的に、多様な学問分野の研究者が、さまざまな方法でアプローチしている人間科学部ならではの魅力が、そこにあると感じています」