マウスの脳を知ることで、人間について理解する

研究室DATA
掛山正心研究室
予防医科学
Work
人間科学部の第一期生として
2015年に着任し、予防医学・生物学的精神医学に関する研究室をもつ掛山正心教授は、実は人間科学部の第一期生だ。精神を生物学的に捉える基礎研究に取り組みつつ、その結果を診断や治療につなげたいと、常に応用を念頭に置いている。精神医学と生物学、神経科学などを融合させようと考えたそもそものきっかけは高校時代にある。
「どうして戦争はなくならないのか、どうして人間は同じ過ちを繰り返すのかなど、当時の私は若者らしい哲学的な悩みの中にありました。その一方で、生物学から新しい知見が次々にの出てくるのも目の当たりにしていたのです」。そんなとき早稲田大学に、人間について総適合的に探求する学部ができると知り、すぐに「行こう!」と思ったという。
多彩な学部から集まった心理学や生物学を専門とする教員たちは、「これまで私たちは誰も人間科学の研究をしたことがない。これから君たちがこの学問をつくっていくのだ」と言ったという。好奇心の赴くまま、さまざまな研究室に出入りする中で、掛山が出合ったのは脳の男女差の研究だった。
ダイオキシンの脳への影響を研究
卒業後しばらくして、ダイオキシンによりオスがメス化することが大きな問題となった。
「当時は低用量の曝露影響はわかっていませんでしたが、脳は体より小さいダメージでも性が転換します。世の中の役に立ちたいという思いもあり、脳の男女差にダイオキシンが影響するかどうかを調べなければ、と思いました」
胎児の頃の化学物質の曝露影響を考えるため、化学物質の曝露量と脳や行動の変化の関係性についての研究をスタート。「環境研究を続けることになるとは思わなかった」と言うが、いち早く新しい分野に踏み出し、継続してきたことで、掛山は今、動物実験からダイオキシンの影響を分析する第一人者の一人となっている。
認知機能と社会性機能を調べる実験には、例えば次のようなものがある。まず、胎児期にダイオキシン曝露したマウスについて、試験装置の四隅にある水飲み場のうち2カ所を正解とし、ここを往復する行動習慣をマウスに習得させる。その後、正解の場所を変更する。実験の結果、ダイオキシン曝露マウスは行動習慣を習得することはできるが、状況変化に対する適応性が低いことがわかったという。また、ダイオキシン曝露マウスの神経活動パターンは自閉症の人に似ていることも明らかになった。
「ダイオキシンの影響が体内で作用するメカニズムも解明されつつありますが、まだ、どの程度の量でどのような影響が出るのか結論は出ていません。私が結論を出さなくては、と思っています。これがわかれば、今後、異なる化学物質について問題が生じても、すぐに解明できるのです」。学生時代に教員から「早稲田の意義は世の中のためになる人材を出すこと」と叩き込まれた掛山は、今も研究にあたって「病気を治すこと、人が健康になることにつながる実験をすること」を肝に銘じ続けている。
自由な発想で、ほかの誰かのために
マウスの認知機能の解明にも取り組んでいる。人間を知るには、人間自体を調べなければわからないこともあるが、マウスを使うことでより短時間で理解できることもあるからだ。以前は社会性とは人間だけがもつものと考えられてきたが、近年はマウスにも社会的な行動があるとわかっている。掛山研究室でも、単体で飼育されてきたマウスを集団の中に入れると、群飼されてきたマウスより馴染むのに時間がかかる、しかし時間をかければ馴染むようになる、などの行動を明らかにしている。
また、マウスがパートナーを選ぶときに選り好みしたり、難しい課題に直面するとキレて暴れたりなど、あたかも人間のような行動をとることも観察されている。
学生たちはマウスの世話をしながら、各人の興味に従い、評価基準の開発や創薬の基盤となる研究などに取り組んでいる。「日々、実験を通してマウスの認知・社会行動を分析し、脳の活動をみている学生たちには、自分の置かれた状況を判断し、どう意思決定するべきかを客観視する力が養われている」と掛山はみる。
「細分化された領域内の“常識”に縛られず、自由な発想で、自分のしたい研究ができるのが人間科学部です。しかし、研究においては、少なくとも自分のためだけではなく、“ほかの誰かのために”ということを考えてほしいと、いつも学生たちには話しています」