「格差社会」を人間科学で解明する
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橋本健二研究室
社会科学
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格差社会の底辺にすべての問題が集中している
日本は戦後の復興期に経済格差が一時広がったものの、やがて右肩上がりの高度経済成長期を迎え、格差は縮小に向かい、1970年代に入ると「一億総中流」という言葉も盛んに使われた。しかし高度成長の終焉に伴い、格差は再び拡大し続けている。その是正は今の日本において喫緊の課題だ。橋本健二教授は、こうした格差の構造と歴史的変化をテーマに研究を続けている。
2016年、橋本は、首都圏を対象に新たな調査を試みた。社会の各階層別に、高血圧などの健康状態やストレスの状態、子ども時代の学校体験などを調べたのである。その結果、そ非正規労働者の置かれた苦しい状況が見えてきた。
非正規労働者層では「仕事や生活に支障を来たすほど気分の落ち込みがある」と答えるなど抑うつ傾向が強い人の割合が3割近くに達していた。またこの層では、子どもの頃に家庭的に恵まれなかった人が多く、学校でいじめに遭った経験を持つ人も、正規労働者など他の階層と比べて顕著に高かった。また、非正規労働の男性は、体重が少なく身長も低いという驚くべき結果も浮かび上がった。
「格差社会の底辺にすべての問題が集中してきています。男性では未婚者が多く、年を取れば身寄りのない高齢者となり、将来的に生活保護対象となる可能性が高い。さらには若い人たちも次々この層に流入してきている。このままいくと20年後には、深刻な問題を抱えた極貧層が推計で1千万人を超えるでしょう」と橋本は警鐘を鳴らす。
格差の拡大は、さまざまな要因が重なって起こっている。なかでも、大きな背景として挙げられるのが経済のグローバリゼーションだ。発展途上国との競争の中で、人件費削減を迫られた企業が、賃金の安い非正規労働者を増やす。一方でグローバル化した企業の中枢で、かつてないほどの高額報酬を得る人々が現れて、格差の拡大が進行していく。するとどうなるのか。
「格差が拡大した社会では、とりわけ階層間の人々の信頼感が失われ、助け合うことをしなくなります。病気になったり、生活が苦しくても、誰にも助けを求められなくなる。社会学では社会の信頼関係や人間同士のネットワークを『ソーシャル・キャピタル』と呼んでいますが、その量や質にも格差が生じているのです。そして追い詰められた貧困層による犯罪が増加し、富裕層の生活を脅かすことにもなります。言い換えれば、格差の縮小はすべての人の利益につながるということです」
ちなみに、社会学者による社会階層や不平等などに関する10年ごとの調査「SSM調査」によると、2015年時点での非正規労働者層の貧困率は10年前の34.8%から38.7%に増加。実に4割に達しようとしている。
居酒屋は、現代社会を映す鏡
格差の問題を扱うのは社会学だ。例えば、文学部の社会学コースでは、一つの問題を深く掘り下げていくスタイルの研究者が多く、その一方で人間科学部の社会学者は、関心領域が非常に広く、他分野の研究者との接点も多いと橋本は言う。
「私の場合、教育格差の問題に関しては教育学の研究者と接点ができますし、健康格差では医学や疫学研究とも関わってきます。幅広いといえば『居酒屋』も私の研究対象。大衆居酒屋は、訪れる客層の変化などから、その時代の社会状況を鋭敏に映し出すからです。90年代後半、大衆居酒屋の客層の中心だった年金生活者や日雇い労働者の姿が消え、スーツ姿のサラリーマンやワーキングウーマンが目立ってきました。格差の拡大とともに、大衆居酒屋にも行けない貧困層が増えてしまったのです」
そこで、趣味と研究を兼ねて、庶民の普通の暮らしの象徴としての居酒屋のフィールドワークを始めたという。そうした研究の成果をブログで発信するとともに、一般向けの書籍にまとめ、発表している。
橋本研究室では「格差研究」に必要不可欠なデータ分析の技術を学ぶ。学生が自分で格差に関するテーマを立て、SSM調査などのデータを活用して分析・発表するのだ。
最近の学生は、格差と貧困問題への関心が強い。とりわけ人気のあるテーマは「教育格差」だ。入学して初めて自分たちの環境が恵まれていることに気付く学生が多いという。若い世代にとってもそれだけ格差問題が身近にあり、危機意識が強いということだろう。
橋本は言う。「20年前には格差のゼミにこれほどの学生が集まることはなかった。学生の関心の方向もまた、現代社会を映しているのです」